浄土真宗本願寺派 浄光山 西楽寺

 仏 法 聴 聞 。
 今日、私たちを取り巻く科学技術の進歩は
 不可能を次々と可能にしてきました。
 しかし科学万能主義の中で私たちのこの「いのち」は
 科学では解決することはできません。
「本願力に遇いぬれば むなしく過ぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」
親鸞聖人 高僧和讃
 仏法聴聞とは仏様の願いを聞く時間を持つということ。
 長い歴史の中で、先人は私のいのちを決して虚しく
 終わらせないようお寺の本堂という形を通し、
「仏法を聞く」という時間の大切さを伝えてきました。
 日々の生活の中にお寺という存在が身近にあることを知り
 仏様の願いに出遇うご縁になればと願います。